第12章 未来をつくる| 「インベンション 僕は未来を創意する」 ジェームズ ダイソン
第12章

未来をつくる

※動画再生後、CCボタンから日本語字幕を選択いただけます。

ホンダ50に腰掛けたジェームズ ダイソンと姉のシャニ―

ホンダ50

1965年に英ノーフォークのクレイトで姉のシャニーとホンダ50に乗った際の一枚。
製図版に向かって座るジェームズ ダイソン

製図版に向かって

多くの楽しい時間を製図版の前で過ごしてきた。すべてがデジタル化した今となっては、懐かしい工程の一つ。確かにスピードはアップしたが。これは1974年にチューブボートをデザインしていた時の様子。
子どもの頃のジェイク ダイソン。ジェレミー フライと家族の休暇旅行でバス・ザルプ地方を訪れた時

プロバンス

仏バス・ザルプ地方、ジェレミー フライが住むプロバンスの高台にある村でのジェイク。
スキーゲレンデでポールを使って空中にジャンプする少年の頃のダイソン

実践しながら学ぶ

スキーを習っていた時にジェイク、サムと私は、レッスンを受けるより自分で挑戦する方が好きだと気づき、その結果、心身が大きく鍛えられたことも。エンジニアリングにも同じように向き合っている。
ジェームズ ダイソンと小型セーリングボート

セーリング

セーリングは子供の頃、英ノーフォークのブレイクニー・ポイントで楽しんでいた頃からの長年の趣味。
書店に立つジェームズ ダイソン

逆風野郎!ダイソン成功物語

1997年、英マンチェスターのウォーターストーンズで初の自伝を出版した際の記念イベント。私の物語もダイソンの物語も、その後の長い時間の中で急速に姿が変わった。
2001年にエリザベス女王とフィリップ殿下を出迎えるジェームズ ダイソン

女王陛下の来訪

2001年、エリザベス女王とフィリップ殿下が英マルムズベリーキャンパスを訪問された際の一枚。女王陛下のお召し物はダイソンカラーだった。
英マルムズベリーキャンパスを訪れたジェームズ ダイソンの孫たち

孫たち

数年前に、孫のミックとベイが英マルムズベリーキャンパスを訪れた際の様子。ベイはDyson Supersonic Ionic用のスタンドをデザインしたことも。
ダイソン デジタルモーターのスケールアップモデル

ダイソン デジタルモーター

ダイソン デジタルモーターのスケールアップモデル。ダイソン デジタルモーターの生産台数は、累計1億台以上に。
ホイットル ジェットエンジン

ホイットル エンジン

かなり初期のホイットル ジェットエンジン、W2 B23。稼働するジェットエンジンの中で最も古いもの。これの修復を成し遂げ素敵な男性に見せてもらったことがあり、数年後に彼が亡くなった後、奥様より譲りうけたもの。英マルムズベリー キャンパス内に設置していて、学生たちがよく試しに作動させている。素晴らしい体験だ!
グッドウッド・リバイバルで披露した修復したホイットル ジェットエンジン

グッドウッド・リバイバル

グッドウッド・リバイバルで披露したホイットル ジェットエンジン。この英国の歴史あるモータースポーツイベントでは、参加者や観客が当時を再現した衣装を着るのが定番。
小型ジェット機の正面に立つジェームズ ダイソンとパイロット

ジェット

2010年にチャンネル4の番組、「Genius of Britain」に出演した際の様子。私にとっての天才は、ジェットエンジンの父、フランク ホイットルだ。ボスコム・ダウンでジェットに乗せてもらった。「ループ・ザ・ループを試してみるか?」と言ったパイロットが操縦桿から手を離し、「どうぞ」と任された時はびっくりしたものだ。
東南アジアで開かれたクリスマスパーティーに集まったダイソンのスタッフ

シンガポール、マレーシアでのクリスマスパーティー

クリスマスパーティーは本気で臨む。毎年、「トランスフォーメーション」や「イルミネーション」などのテーマを決め、各自が時間をかけアイディアに満ちたコスチュームを準備する。それはそれはとてつもない光景である。
英国で開かれたクリスマスパーティーでランウェイを歩く仲間たち

英国でのクリスマスパーティー

毎年のクリスマスパーティーのクライマックスは、最優秀衣装賞を決めるファッションショーだ。
クリス、ダイアナ ウィルキンソン夫妻とディアドリー ダイソン

クリス、ダイアナ ウィルキンソン夫妻

ディアドリーとクリス、ダイアナ ウィルキンソン夫妻。クリスはダイソンの数多くの建物を、ダイアナは英マルムズベリーキャンパスの中庭を美しく飾る彫像を手掛けてくれた。
ブリティッシュ・ファッション・アワードでのジェームズ ダイソンとステラ マッカートニー

ブリティッシュ ファッション アワード

ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで2017年に開かれたブリティッシュ・ファッション・アワードにて。ファッションデザイナーのステラ マッカートニーに初のイノベーション賞を授与している様子。
ノーフォーク・スピリット号の船上。ジェームズ ダイソンとグレシャムスクールの校長。モールストンにて。

英ノーフォーク

2019年夏にモールストンでノーフォーク・スピリット号に乗船。私が通い、育った母校、グレシャム校を訪れるためノーフォークを旅行中。現在の校長、ダグラス ロブ先生と共に。昔ブレイクニー・ポイントに向かってセイリングしていた時のクリーク。
自身がデザインしたラグを説明するディアドリー ダイソン

ディアドリー ダイソンのカーペットとラグ

ディアドリーは20年前からモダンなラグとカーペットをデザインしている。こちらはバースのホルボーンミュージアムで手編みのラグとタフティングガンを使ったラグを紹介しているところ。
大きなキャンバスに葉を散らした絵画を制作中のディアドリー ダイソン

ディアドリーの絵画

ディアドリーは長年、素晴らしい絵画作品を手掛けている。幸いなことに、最近は自分のアトリエを持つようになった。絵画教室を開き家計を助けてくれたり、家庭の中で作業スペースを確保するのに苦労していた頃も。
スピーチ中のジェームズ ダイソン

誕生日

私の70歳の誕生日パーティーにディアドリーと共に。彼女は長年尽きることのない愛情を注ぎ、支えてくれている。彼女がいなければ、これまでの業績はどれも不可能だっただろう。私を励ましてくれる友人たちに囲まれていることも、特別な思い出だ。
テレンス コンラン卿の肖像写真

テレンス コンラン卿

当初から支援してくれたテレンス コンラン卿。当時は面識がなかったが、初期のダイソン掃除機を気に入ってくれ、コンランショップで取り扱いたいとの申し出を受けた。もちろん、「ぜひ」と返答を。
ロス キャメロンとジェームズ ダイソン

ロス キャメロン

私の70歳の誕生日パーティーで、良き友人のロス キャメロンと。初めての出会いは1980年後半。サイクロン掃除機で水たまりからガラスの破片を吸い込んでいる私をテーブルを飛び越えて見にきた。自分でもやってみたかったそうだ。ほどなくして私と一緒に働くようになり、ダイソン オーストラリアの設立とその後の経営に尽力してくれた。
グレシャム校にあるダイソンビルディングの正面に立つジェームズ ダイソン

グレシャム校のダイソンビル

母校に建設中、完成間近の科学・技術・エンジニアリング・アート・数学科ビルを訪れた時。グレシャム校は父が亡くなった後に私と兄のトムの授業料を免除し、支援をしてくれた。アートとデザイン、科学を一体化させたこの新しい建物の建設支援ができたことを光栄に思う。
スミスのポテトチップ袋を手に持つジェームズ ダイソン

スミス ポテトチップス

子どもの頃、英ノーフォークのモールストンにあるアンカーパブで売っていた小さな包みの「スミス ポテトチップス」が好物だった。不思議な巡り合わせで、リンカンシャーでダイソン ファーミングのために手に入れた農場の一つは、かつて「スミス ポテトチップス」用のジャガイモの栽培農地だった。
ブレイクニー・ポイントでボートの上に立つジェームズ ダイソン

ブレイクニー・ポイントでのボート乗り

2021年の旅行中、英ノーフォークに戻る時にボートでブレイクニー・ポイントへ。家族と何度も訪れていた。幼少期を過ごすのにも、探検するのにも素晴らしい場所だ。外の世界と切り離されたと感じる場所で、当時は確かにそうだったとはずだ。今は絶好の休暇先。
『インベンション 僕は未来を創意する』のオーディオブックを録音中

オーディオ ブック

英マルムズベリーキャンパスの半無響室の一つで『インベンション 僕は未来を創意する』のオーディオ版を録音中。